当院のご案内
新潟亀田大通り接骨院の理念
『 東洋医学の技術、伝統、思想に基づき
患者様への施術を通じて地域医療に貢献します 』
先人の方々から脈々と受け継がれてきた東洋医学の力で、地域の皆様の健康を支えていきます。施術を通じて地域医療に貢献し、併せて東洋医学の発展と継続に寄与してまいります。患者さまの”患”という字は「心」に「串」が刺さっています。その串を我々が取ってあげられたら幸せです。
新潟亀田大通り接骨院院長
スタッフのご紹介
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遅くまで営業しておりますのでお気軽にご来店ください!
- 岡澤 竜司(おかざわ りゅうじ)
- 出身地:新潟県新潟市
血液型:AB型
趣味・特技:食事、ゲーム
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地域のみなさまへ今現在お体に痛みがない方でもいざ筋肉を押されて見ると思った以上に疲労が溜まっている事が多くあります。これは日本人が生活や仕事に影響が出るまで疲労を気にしないという事が癖になってしまいます。そのためお体の調子が悪くなくても是非一度当院で施術をお試ししてください!
施術家になるまでの自分学生時代の自分は部活で柔道を行っておりました。その過程で少なくない怪我を経験しましたが怪我が治っても身体の動かし方に違和感や過労が溜まると痛みが出る時がありました。その時に怪我の後、練習の後のアフターケアの重要性を感じ整骨院に通っておりました。最初は治ったはずなのに痛みが続く理由がわからずレントゲンをとって貰っても異常はないので筋肉の損傷とわかりました。基本的には自然治癒力で回復していくはずなのですがまだ治りきってない状態で痛みがないと思い込み練習を行うことで損傷、回復を繰り返し複雑な筋肉の損傷をしてそれが癖となってしまって筋肉を酷似する度に違和感となって残りやすいです。その経験を生かし自分もお世話になった先生方と同じように皆様のお体のお悩みや取りきれない違和感を解消できるようにこの業界に入ろうと決心しました。スポーツをしていると否応なしに溜まる疲労それをどのように減らして行くのか、その後大人になり社会に出たときに感じるものが心身の疲労運動はしてなくても長時間正しくない姿勢を取ることで微量に蓄積してしまう疲労これらから目を背けると発生していまうのが急性の痛み。なにもしてないのに朝起きたら急に腰や首肩が痛みが出た記憶はございませんか?それらは普段の私生活を送っているうちに溜まった疲労が原因で発生します。コロナ期間によって最近は柔道を行っておりませんが柔道で聞きたい事などありましたらお気軽にお声掛けください。
新人・修行時代の自分多くの先生方が所属していますので県外のより専門的な知識を持っている先生にご教授してもらえる事がありがたかったです。1人だけではわからないことや気になる事がおおくあり悩む事も多々ありますがその度に同じ院の先生や時には県外の先生方にご意見を貰えたり逆に自分の意見をぶつける事が出来ますので様々な考え方を学ぶ事ができました。特に学校では怪我などの知識を学ぶ機会はありましたが患者様のお体のお悩みに対して有効なものなどを学ぶ事は少なく学生時代の勉強よりも社会に出て患者様の施術を学ぶことのほうがより難解で難しく感じました。骨折や打撲の怪我の方よりも日常生活で発生した腰痛や首肩周りのお悩みの方が多いためより筋肉を柔らかくする技術や骨格を整える施術を覚えるだけではなく効果を出せるように練習することが重要になるからです。更に学校の宿題とは違い知識を知っている人が答えがある問題を出すことと違いわからないから来てくださった問題を自分達が答えを探し出すというとの重要性を学びました。施術は日々進歩しており完成や完璧などなく毎日の積み重ねによって昨日の自分を超える事ができ過去や今の行動が未来の自分の進歩に繋がります。そのため自分は今現在でも新人、修行中の身と思い行動を実践していきます。まだまだ発展途上、成長途中ではございますが皆様のお体を良くすべく行動しておりますのでよろしくお願いします。
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目指せ地域に根差し頼りにされ愛される院!
- 服部 寛子(はっとり ひろこ)
- 出身地:千葉県千葉市
血液型:O型
趣味・特技:映画鑑賞、カラオケ、和服の着付け
資格:鍼師、灸師
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地域のみなさまへ 知らないお店を利用するのは期待と不安の半々で、皆さまのご来院を心待ちにする我々もまた楽しみな気持ちとどこまで寄り添えるか、ご満足頂けるにはどうするのが最善なのか日々試行錯誤を重ねている次第ですので、その成果がどんなものか見定めるような心持ちでお越し頂ければ幸いです。
施術家になるまでの自分初めまして、この接骨院で鍼を担当させて頂いている鍼灸師の服部寛子と申します。 この度当院のホームページの新設及び更新に伴い簡潔ながら自己紹介をさせて頂く事になりました。拙い文ではありますが最後までお付き合い下さいませ。
〜千葉・幕張から〜
新潟県の加茂市で長年育ちましたが、誕生から幼少期の約10年程は千葉の幕張で過ごしました。新潟へ引っ越す事になったのは千葉の大学病院で勤務医をしていた父の出身地が加茂であり、父のUターン里帰り兼開業の為に家族で移住したと言う経緯があっての事です。子供心にも新天地での生活に不安と期待が入り混じる日々でしたが、同じく家族を抱えての(故郷とは言え)開業に踏み切った当時の父の覚悟やプレッシャーがどれ程のものだったかを思えば、何の心配も無く過ごせた事がいかに有難かったかは言うまでもありません。 開業から安定した軌道に乗るまで紆余曲折あったものの周囲の助けもあり、今現在も地元の町医者として頑張ってくれている父の姿が今思えば施術家を志すきっかけになったと言えるかもしれません。
〜遠回りと周り道を経て施術家へ〜
高校、大学と定石通りの進路を辿ったもののその先のビジョンがなかなか見出せませんでした。暫くは数種のバイト、非正規雇用、無職と定石通りの迷走もひと通り経験した後に見かねた父が「手に職を付け治療に携われる」からと勧めてくれたのが鍼灸の資格を取る事でした。 施術家となった今も諸々の悩みは尽きませんが、変わらずに支え続けてくれている家族に最大限感謝しつつ今日も現場に立っています。
新人・修行時代の自分入社してから今日まで…と言うと特段変わった所がある訳ではありませんが、やはり目まぐるしい日々を過ごしながら毎日沢山の様々な患者様と触れ合える機会と経験で培ったものは何にも替え難い財産になっている事は間違いないと言えます。 研修を終え初めての店舗に配属され、先輩方の技術や話術などの対人スキルまでそれこそ一挙手一投足を見よう見まねで何とか吸収しようと食らいつき、そしてまた初めての患者様への対応、施術、鍼を行う際の全身冷や汗まみれで心臓が飛び出さんばかりの緊張感は初心に戻る時に今も決して忘れてはならないと自身の気を引き締める為記憶に刻んでいる事です。 技術も大事ですが、不特定多数の人を相手にする以上は人付き合いと人間関係の関わりは避けては通れないからこそ出来る限り円滑かつ誠実な、そして程よい距離感を心得たコミュニケーションのスキルがどれだけ必要不可欠かは入社当時に限らず長年勤め続けるほど日々ひしひしと実感している所で、精神面の安定と強靭さとある程度打たれ強い図太さも鍛えられた気がします。 そして新人でもベテランでも共通で直面する悩みの種であり課題でもあるのが体力、筋力、そして免疫力の減少と低下。コロナ禍を経て更に重要性が増しており働き詰めの現代人が真っ先に失いかけている掛け替えのないそれらを取り戻さない事には理想とする健全な身体には程遠いと、せめて食生活は少しでも改善せねばと新人研修当時以来から長年放棄していた自炊生活を部分的に復活させるなど、ある意味あの頃と変わらず試行錯誤を繰り返している今日この頃です。
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